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創業ストーリー

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教師がはじめた創業ストーリー

仕事とは何かに悩んだ20代

ーこれから仕事を決めようとしているあなたへー

社会人としての歩みは希望だった教師からスタートした。教師になることは、学生時代からの目標でした。気仙沼の高校で国語を教え、ラグビー部の顧問も務めていました。人と関わる仕事ができ、公務員という身分は安定もしていた。
しかし、教えるということに大きな疑問・悩みを持つようになっていきました。教師は生徒に何を教える仕事なのか?教科?部活動?より良い生き方?国語を教えるとは何を教えることなのか?漢字?教科書?作品を読んだ気づき?学校で教える正しいことは本当に正しいこと?社会で通用すること?疑問への回答が得られず悶々とした日々だった。そして、回答を得られない自分の未熟さを感じる日々が続いた。さらに、教師という身分は窮屈・不自由でしかたなかった。いつも教師として振る舞わなくてはならない倫理観に縛られた不自由な日々。もっと快活に自由に生きたかった。
教師としてのあり方、周りの人の成長意欲の無さ、田舎での不慣れな生活、色々なものが混じって、教師という仕事への違和感が深まっていった。自分は社会にもまれ成長し、生きる方向を見出す必要があった。3年で教職を離れ、東京に戻る大きな決断をした。

東京に戻り、アルバイトをしながら就職活動をした。周りを見渡せば同期の友人・先輩が仕事を通じて社会と接している姿があり、自分が取り残されている不安はあった。しかし、教師という倫理観から解放され世間の目を気にする必要がなく不安よりも楽しかった。自由がいかに大切かを知った。そして、心身のエネルギーも徐々に満ちていった。
初めに勤めた会社でコンピューターソフトの法人営業をやりました。ここでも疑問がよぎります。営業という商品を売りに行く仕事は本当に社会に必要なんだろうか?顧客が必要としていたら営業などする必要はないのではないか?売れないから無理に営業に行く必要があるのではないか?という疑問です。そんな時先輩が教えてくれました。「戸塚君はスーツ買ったら嬉しくないか?」「嬉しいです。」「それをやるのが営業という仕事なんだよ。人はいいものがどこにあるか、それがほんとにいいものか知らないんだよ。それを紹介するのが営業なんだよ。売りに行くという活動はお客様に喜びを運ぶ仕事なんだよ。」
営業という仕事の意義を教わった。毎日いろいろな人に出会う。人に会うことが楽しく、もっとやってやろうというエネルギーが湧いてくる。自分は、営業に向いているかもしれないと感じました。しかし、本当にこれでいいのかという疑問もありました。それは、学生時代から教師になりたくて勉強もしてきたのに、自分がしたいことは本当に営業という仕事なんだろうか?という疑問です。向いていることに素直に従えない自分がいました。全く分からなくなってしまったんです。それから、転職を繰り返しました。敬意をもてない上司に命令され、とてもうまく行くとは思えない仕事を実行しなくてはならない。転職してはこれが自分のやりたかったことなんだろうか?この疑問がずっと自分を支配していました。2年間で4社の転職をすることになりました。やりたいこと探しをいつまでやっていても見つからない。次第に転職をくり返すなら社長になって自分で起業しようという気持ちになっていきました。

まっしぐらに突き進んだ30代

ー経営資源ゼロから起業を目指すあなたにー
ビジネスアイディアを基に起業をしたのはいいのですが、資本はゼロ。人脈もない。信用もない。ノウハウもない。あるのは「元気」だけでした。ビジネスアイディアはよく練られたものではありませんでした。いきなり失敗です。途方に暮れました。また何をしたらいいのか壁にぶち当たります。もう悩んでいる時間はありませんでした。結婚して生活を支えてゆかなければなりませんでした。
今自分のできるところから始める。OA機器の営業をやってゆく。これが今自分にできることでした。できることから初めてゆくと行動に繋がります。やるべきことが山のように出てきます。毎日一生懸命に営業しました。行動してゆけばいろいろな気づきが得られます。今までの悩みとは質が全く違います。行動してゆくとフワフワした回答ではなく現実的な解が出てくるようになります。OA機器の営業をやってゆく。もう迷いはなくなっていました。
その際心掛けたのは人を大切にし信用を得ること。自分の利益ばかり考えるのではなく顧客の利益を優先し役立つことです。これをバカ正直に積み重ねてゆきました。お客様から可愛がられました。「これお前のところで扱ってないのか」と、お客様が何か注文してやろうとしてくれました。ありがたかったです。おかげで商いは少しづつ拡大してゆきました。
広がってゆくとともに、次の小さな目標ができました。事務所を持つこと、社員を採用することです。自宅近辺のワンルームマンションなど事務所探しをしました。ある先輩社長からアドバイスを受けます。「事務所なんか持ってもダメ。お店をやりなさい。」その社長は、額縁を量販店に卸す仕事そして小さな店舗でそれらを販売していました。初めはこれがお店で売れるのかなと思って不思議でした。実際1日お店を見させてもらうと、意外にお客さんが来るんです。「お店の家賃と事務員さんの給与はこのお店の売上で出るんだよ。」と教えられ、驚きでした。私にお店をやるという次の目標ができました。

そこで参入したのが携帯電話販売事業です。当時、お客様から携帯電話は扱ってないのかという依頼がありニーズはなんとなく感じていました。携帯電話は1994年に自由化されます。今まではレンタルすることしかできなかった携帯電話を買えるようになるのです。これが大きなチャンスかどうかは当時全く分かりませんでしたが、お店を持つことパートさんを採用することを決意します。大きな借金をしなくてはならず大きな勇気が必要でした。お店をどこに作ったらいいか?店舗内のレイアウトはどうしたらいいのか?全く知識のないまま手探りでお店を作りました。
昼は外に出てOA 機器の営業、夕方戻ってお店をやる。土日は店舗の仕事。全くプライベートな時間がない数年間を過ごしました。人の2倍、いや3倍4倍働くこと以外に会社をうまく切り盛りすることができませんでした。その間苦しさも楽しさも味わいましたが、市場の成長とともに会社が成長してゆきました。決して経営能力があったわけではありません。ただ、今は人生かかっているんだという意識、ここが勝負時なんだという意識は強烈に持っていました。

第2の事業を創る40代

ー第2の柱をつくる次の事業を作るあなたにー

どんな産業にもプロダクトライフサイクルがあります。2010年代に入り携帯電話は成熟期・衰退期に入りました。会社を成長させるにはどうしても第2の柱を作る必要があります。新しい事業にチャレンジを試みました。思いつくままに手当たり次第チャレンジしていました。行動を起こすことが大事だとわかっていたのですがあまりにお粗末でした。簡単にはうまく行きません。
なんとか打開したいと思い、アメリカに滞在し何かヒントを得たいと思い3ヶ月滞在もしてみました。そんな時新聞である記事を見つけます。24時間フィットネスジムが日本に登場したという記事です。アメリカの事業を日本でフランチャイズ展開している会社がありました。もともと私自身は運動が好きでフィットネスクラブに通っていました。フィットネスクラブが早朝やっていたら便利だなと感じていました。そこでこの事業は面白いと参入を決意しました。携帯電話販売店舗の拡大は見込めない。店舗拡大できるビジネスはたいへん魅力あるものでした。しかもこの事業なら関東以外にも店舗を拡大できる。それが成長につながり、第2の柱となりました。
このビジネスはアメリカ発祥のビジネス。もし私にアメリカに3ヶ月滞在するという経験がなければこのビジネスに参入しようとは思わなかったはずです。当時滞在では何も実益がなかったと感じた体験は実は無駄ではなかったのです。私が生活してゆくためだけだった会社は、志と目標を得てお客様に役立つ会社、社員が成長できる会社、社会に貢献できる会社に成長してゆきました。

ー今後のヴィジョンを描きたいあなたへー

会社の成長に合わせてやれることは大きくなっていきます。新たな挑戦を必要費用として考えてゆく必要があります。そして、それに合わせて会社を作り直してゆくのです。
今後当社がやりたいこと成長しなくてはならないことは、自社で一貫したサービスの提供ができることです。サービスの販売部分のみを担当している会社ではなく企画・設計ができる会社になってゆく。自社が提供しているサービスの大切な部分を他社依存していてはいけません。リスクを理解し、損切りの覚悟をし新たなビジョンを描く必要があるのです。これからは代理店・フランチャイズビジネスに満足することなく、新たな価値を創造できる会社を目指します。私たちでないとできないこと自社のオリジナルを開発する。そして世界へ展開する。

ーこれから出会うあなたへー

やりたいことが自分に向いているとは限りません。希望の会社に入ってもやりたいことができるとも限りません。何をしたいかではなく、あなたの得意を生かしてみませんか。あなたのエネルギーが弾ける方へ進んでみませんか。私たちは次のステージに向かっています。あなたと一緒に成長してゆきます。

株式会社システムステーショングループ 代表取締役